ギャラリー『幻』に寄せて

 千駄木のギャラリー『幻』は常に静謐を湛えている。艶消しの滑らかな赤と黒の壁紙が暗闇の中の鮮血を思わせる。安土桃山時代の茶室が高い精神性をそのままに現代に甦ったかのようでもある。黒と赤が血と死を思わせるが、透明で飾り気のない自然な感じがする。生まれる前の故郷に戻ったような、魂の故郷に帰った感じがある。

 マイケル・ジャクソンのアルバムジャケットも手掛けたマーク・ライデンがオーナーであることでも知られるDollhouse Noahの少女人形を見に立ち寄ったのが、『幻』を訪れた最初だった。D.Noahの南雲氏によるとギャラリーのオーナーは小林さんという方で、妖怪研究家でイラストレーターでもあるという。現代に甦った茶室では、抹茶だけでなくメキシコ料理をアレンジしたチョコレート風味の前衛料理も供されていた。

 ここは二十一世紀の未来茶室である。となるとそこでは当然、アバンギャルドな肉料理が供されることもあるだろう。私は千利休を前にした一介の田舎兵として、彼の作り出す血と闇の無限空間に打たれていた。

 小林氏は『幻』ギャラリーのオーナーで、シェフでもあるのだった。慎ましく、控え目で、しかし完璧主義者であるらしい小林氏の生み出す料理は繊細かつ大胆で、実験芸術の好奇心と遊び心も兼ね備えていた。東洋の鍼灸医が人体の経穴を熟知しているように、小林氏も人間の生きて動く感覚、味や音や色について本能的な勘が鋭いに違いない。

 美や芸術は権威的な飾りや大衆扇動的なプロパガンダばかりではない。この未来の前衛茶室、カフェギャラリー『幻』には本来あるべきであった美の形があるようだ。
 地上での生活を生きるために、何か、自分を内から支えるような何かが必要な、病める魂の持ち主、社会に上手く適応できない者たちがいる。彼ら彼女たちには切実に、どうしても何か、美しいものが心の底から必要なのだ。
 それは魂の思い出や、透明な精神の故郷の記憶であるのかもしれない。美は心を動かし、忘れかけていた何かを思い出させる。そう、自分はかつてこの音を聴いた。自分はかつてこの闇にずっと長い間いた。自分はかつて誰かに強く愛されていた。
 でもそれはもう記憶喪失のように遙か宇宙のどこかに忘れてきてしまった。

 『幻』はそのような、忘れかけた魂の味を想起させてくれる場所だ。
 自分の身体には温かい血が流れている。夜の闇に見る夢は宇宙に通ずる。地上で戸惑いがちな、ぎこちない魂を、静謐な空間の美で、少しの間、休息させてくれる。子供の頃、遊びに来た祖父母の家のようだ。
 何か大切なことを忘れていた。幻のように思えるかつての感情は、しかし、それが本当のものだったのかもしれない。私はかつて宇宙の暗闇にいた。全ては失われ、忘れられた。幻影でも良いからもう一度私はそれを思い返したい。そこには本当の美と、深い愛が確かにあった。

21世紀の近未来茶室、カフェギャラリー「幻」では小林シェフの芸術料理を堪能できる